創設者から あなたへ

由良野の森 創始者 清水秀明氏からあなたへ伝えたいこと

2003年春 由良野の森の発起人である清水秀明氏が約3ヘクタールの土地を購入し、1本の木を植えるところから始まりました。
「鳥獣や昆虫などが住める環境を取り戻し、人が楽しめるだけでなく、そこに住む生き物のことも勉強できるように」


1.由良野の森は、ホッとする場です。

由良野の森は、ホッとする場です。人と自然が融け合っているから。自然を離れて人は生きてゆけません。由良野の森でさまざまな体験をしたら、今いる場所でそれを育ててください。自然の中ではぐくまれてきた自分が分かってきます。
田舎(現在は愛南町)で育った私の、心に残る最も印象的だった出来事は、山道で出合ったきれいな虫のことです。後で、「玉虫」という虫だったのだと自分で納得したのですが、出合った時はハッとして、息をのみました。自然の中で育まれている時、ときおり自然が見せてくれる「ハッとする瞬間」のひとつでした。心を打たれるというありふれた表現ではなく、ハッとして息をのむ―畏敬に近いのでしょうが―という気持ちです。海に潜っても、光のグラディエーションによるきらめきや、魚の群れやエビの動きにハッとさせられ、ウニやクラゲやウツボを恐れました。小学校3年生で松山に転校したのですが、松山に出てきてもそのことを何度も思い出し、小学校6年の卒業文集に、山や海で遊んだ楽しかった思い出を書いて、最後に松山に来たくなかったと心情を吐露したのを思い出します。子供の心に、何度も何度も、遊んだ風景がリフレインされ美化されたのでしょうが、そうした思い出が自分の成長してゆく中での心の支えになってきたし、今もあります。子供は感受性が豊かで良く分かるから、小さい時の体験は宝です。
心にふれて、響くのです。 「ゆらの」の動機です。
2013年12月 清水秀明 由良野の森創設者

2.自然と人の相互依存と共生関係の本来の姿を求める」ことについて

物事は相互依存に依存しているといわれてもピンときにくいですが、物事はすべて関連がある、関係性にあるといわれると直感的にわかりやすいのです。物事が相互に依存するのは、関係性という言葉の意味をちょっと深めないといけません。
われわれは自然に依存し、自然もわれわれに依存しているといわれるとちょっと、ん?です。われわれが自然に依存しているのは当たり前です。自然というものがなければわれわれは存在しないのですから。しかし、自然もわれわれに依存しているのです。自然と一口で言いますが、大気、水、大地、ありとあらゆる生き物、生き物ではないもの、物理現象や化学現象を起こすエネルギーの変化、意識と物質のさまざまな局面を含んでいます。小さな微生物の営みも、多数となれば大きな影響を及ぼしますが、なんといっても、われわれ人間の認識や行いが、自然に影響を与えるのは明白です。大気汚染しかり、水の汚染と浄化、森林破壊と再生、すべて、われわれの意識と行いに依存しています。ヒト以外の多くの生き物にも影響を与えます。
原因は結果に依存し、結果は原因に依存しています。自然は、生み出したわれわれの影響を受け変化し、われわれは自然によって生み出されるということです。相互に関連があるわけです。
集合的に言えば、自然という全体集合に、われわれ人間、人間以外の生き物、生き物ではないもの、具体的には先ほどあげた、大気、水、大地、海、草木などなど別個に名づけられたおびただしい存在が要素として含まれています。全体集合としての自然は、部分に依存しているのは明らかです。部分も全体に依存しています。部分同士でも互いに依存関係があります。そして、大事なのは、すべてがお互いに関係し、影響しあって変化するということです。もっと言えば、われわれが学ぶのは、変化をつかまえるためです。宇宙のあらゆる起こりうる出来事、意識までも含め-変化―を記述したいというのが人の願いなのです。勉強というのはそのためのものです。たとえば、九九にしろ微分積分にしろ、変化を記述するために学ぶということを学校で教えないといけません。由良野の森での小さな体験は、自分の中での変化に気づくことです。本来、自然から生み出され自然にはぐくまれた自分を再認識することです。
2013年6月9日 清水秀明 由良野の森創設者

3.12年あまりの思い 清水秀明 2017/12/27

由良野の森で約12年活動してきました。10年あまり「ゆらの」の会の代表として、約2年を「NPOゆらの」の顧問としてやってきました。顧問はいわば名誉職ですので、実際自分が主体的にかかわったと意識するのは約十年でしょうか。その中でも最初の5年間が、場を作り活動の方向性を決める大事な時期でした。
人の活動はどんな活動であれ、動機と縁で織られます。最も大事なのは主体の動機だと思います。私の思う活動のための動機とは、言ってみれば、主体の思いの純粋さと他者への視点を包含した意識です。それが形となってゆくためには、時期が適切であること人のかかわりが大切ですが、縁という、目には見えない繋がり、関係を形にする力が必要です。
私の場合は、動機、すなわち、なぜ自分はそう思い活動しようとするのかは、人の生きる意味を問うことから来ていました。愛媛新聞の四季録に書きましたが、医療と関わる中で人の生死に直面し、生きる意味を問い「医療と仏教を考える会」の活動に参加させていただき、自分は何をすべきかを問うたことが大きかったと思います。そこに、木立の中の牛がいて、放人がありました。それを支えたのが、由良野の森のホームページに掲載されている「清水秀明代表よりメッセージ」中の、私の幼少時の体験です。自然にはぐくまれ、自然の見せてくれる畏敬とも言えるさまざまな場面と無限の変化に心を打たれた体験です。子供の時の私には‘ハッ’とする瞬間の思いでしかないのですが、それは子供一人一人に違って映るものだと思います。こうした、幼少時から大人になってまでのすべての体験、思いが、自分の為すべき道を教えてくれたと思います。
縁は、動機を形あるものにしてゆくものだと思います。特に人の縁は大事です。現実に物事を動かすのは、人ですから。これも四季録に書きましたが、二名に土地があることを教えてくれた新和工業の大野さん、土地を得た後、由良野の森で自然界の采配をしてくれた、甲斐さんの紹介による山本栄治さん、森で人間界の事を主にやっていただいた鷲野宏さん陽子さんご夫婦との、阪神淡路大震災後の松山ユースでの出会いも縁によるものでした。今は故人となられた玉木先生は県病院時代からの知り合いで、福水さんは銀行にお勤めでしたから会計の相談に乗ってもらいました。ゲストハウスの設計をしてくれた大興建設の大西さんは私の病院の関係、大工の勝本さんは鷲野さんの知り合い、由良野の森で陰ひなたなく協力してくれるコンピュータ医者の久万川さんは、彼の奥さんの江利子さんが私の病院の事務をやってくれていたという、すべてが縁によるものです。また、「ゆらの」という任意団体を始めるには、藤原先生主宰の「医療と仏教を考える会」での会の運営が参考になりました。「ゆらの債」を発行する時は、岐阜で「アブラムの会」を主宰している大郷さんの「アブラム債」を参考にさせていただきました。すべて自分の体験が基になっているのですが、縁に由るものだと思います。
これまでの由良野の森での活動、行いは、今後どこかに「由良野の森とそこでの活動の沿革」として載せていただけると思いますので、これ以上は長々と述べません。新しく発足した「特定非営利法人 由良野の森」が、今後活動を広げてゆくようになったとき、改めて、活動主体はなぜそうするのかを問い続けて行って欲しいと思います。
2017年12月27日 清水秀明 由良野の森創設者